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住吉村 (神奈川県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すみよしむら
住吉村
廃止日 1925年5月10日
廃止理由 新設合併
中原村住吉村中原町
現在の自治体 川崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
橘樹郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,738
国勢調査、1920年)
隣接自治体 川崎市、中原村、橘村日吉村
住吉村役場
所在地 神奈川県橘樹郡住吉村大字木月
座標 北緯35度34分30秒 東経139度39分19秒 / 北緯35.57511度 東経139.65528度 / 35.57511; 139.65528 (住吉村)座標: 北緯35度34分30秒 東経139度39分19秒 / 北緯35.57511度 東経139.65528度 / 35.57511; 139.65528 (住吉村)
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住吉村(すみよしむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1925年大正14年)5月10日まで存在した神奈川県橘樹郡

概要

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神奈川県橘樹郡中部の村。現在の神奈川県川崎市中原区の南部、幸区の西部にあたる。

歴史

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村名の由来

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瑞祥地名

沿革

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  • 戦国時代 - 今井、木月郷、借宿、井田の地名が見られる。
  • 江戸時代 - 以下の6村が成立。
    • 今井村(幕府領、旗本勝部氏・筒井氏知行→旗本勝部氏知行、江戸増上寺領)
    • 木月村(旗本森川氏・三宅氏・内藤2氏の4給)
    • 市ノ坪村(旗本内藤氏知行→幕府領→江戸増上寺領)
    • 苅宿村(幕府領→旗本杉田氏知行→幕府領)
    • 井田村(旗本加藤氏・倉橋氏・八木氏・高林氏・鈴木氏の5給→幕府領、旗本加藤氏・倉橋氏・新見氏・鈴木氏知行)
    • 北加瀬村(旗本間宮氏知行→江戸増上寺領)
  • 1868年明治元年)
    • 旧暦6月17日 - 神奈川府の管轄となる。
    • 旧暦9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
  • 1874年明治7年) - 大区小区制の施行により、上平間村、中丸子村、市ノ坪村、今井村、鹿島田村、苅宿村が第4大区第7小区に、井田村、木月村、蟹ケ谷村、明津村、北加瀬村が第4大区第8小区になる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、今井村、木月村、市ノ坪村、苅宿村、井田村、北加瀬村が合併して住吉村が成立。
  • 1925年(大正14年)5月10日 - 一部の区域(北加瀬)を日吉村へ分割編入した上で、残部が中原村と合併して中原町となる。同日住吉村廃止。
  • 1933年(昭和8年)8月1日 - 中原町が川崎市に編入。
  • 1937年(昭和12年)4月1日 - 日吉村が川崎市、横浜市に分割編入。旧住吉村の区域は川崎市となる。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、北加瀬の一部(現西加瀬の全域、大倉町の一部を除く)が幸区に、残部が中原区になる。

地名

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地名としての「住吉」は1942年の木月住吉町の起立で復活している。

住吉神社(明治42年)、住吉小学校(明治33年)、住吉中学校(昭和22年)、住吉高等学校(昭和54年)に、住吉の名が現在も使われている。

交通

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鉄道路線

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東京横浜電鉄(現東京急行電鉄東横線元住吉駅は、住吉村廃止の翌年の1926年に木月に開業。駅名の命名は、元(旧)住吉村の地に由来し[1]、「住吉」の名に愛着を持った住民からの要望による。

道路

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現在の町名

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川崎市中原区

川崎市幸区

脚注

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  1. ^ 住吉村の中心地という意味ではない。

関連項目

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